長らくスルーしていたペンローズ量子脳理論ですが、量子コンピューターも流行ってきている今だからこそという思いで読んでみました。
量子脳理論は意識についての理論で、意識がどのように生じているかを説明する仮説です。「意識」と言うよりは、もう少し広く「精神的な活動」といった方がいいかもしれません。とにかく、いわゆる「頭の中」で起こっていることをどう説明するのかに焦点があります。
よくある意識の説明
ペンローズと多くの科学者が共通する点としては、実在論的な立場でしょう。「意識」という精神的なものは、この世界の中の何かしらの「実在」に対応していると言う立場です。下の図で言うと、実在から意識への矢印を引こうというのが実在論です。
特に、「脳」を実在論の出発点にするのは自然なことでしょう。脳から意識に向かってどう矢印を引いていくかが、ペンローズは独特なのです。まず、メジャーな考え方では、脳の中のニューロンの信号によって、意識が生まれているとされます。下の図の斜めの点線の矢印がこの立場です。この立場の大きな特徴は、ニューロンの信号はシミュレート可能であり、従って、意識もシミュレート可能のように見えることです。
一方で、ペンローズはいくつかの仮説を立てて、脳から意識への別の対応を見い出します。
脳はマクロな量子状態
主要な仮説の1つは、脳はマクロな量子状態を実現していると言うことです。生体内のように熱的にノイズの大きい状況でマクロな量子状態を実現することは困難というのが通説で、ハードルの高そうな仮説です。ただ、量子生物学では生物が量子効果を利用していると考えられているので全くの間違いと切ってしまうのも難しいでしょう。
計算不可能性
結論の特殊性からするともう一つの仮説の方が重要かもしれません。その仮説とは、波動関数の収束の過程は計算不可能な過程であるというものです。現在の量子論では、量子の時間発展は量子の世界の演算で書けますが、量子の観測は不連続に量子の状態を移行させ、いわばとってつけたような過程になっています。仮にこの観測の過程が自然に定義される「超量子論」が完成した暁には、観測過程は計算不可能性を持っているはずだというのがペンローズの仮説です。
ここで言う計算不可能性とは、その過程を実現するアルゴリズムが存在しないことを意味していて、停止性問題などと同じクラスを指します。つまり、コンピューターでシミュレーションすることができない過程となります。
この仮説を導入することで、今のコンピューター上で動くAIは意識を持つことはないと言うことなります。
まとめ
ペンローズの量子脳理論を図を使って整理してみました。「意識は電気信号だよ」という説だと意識はシミュレーションできるのに対して、意識はシミュレーションできないんだという結論に至るのが特徴的ですね。理論を支える重要な仮説が成立するためのハードルは高そうですが、面白い理論ではあります。
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